2006年07月31日

ブログの言論の自由

言葉の性質という観点から言論の自由について考えてみる。

 そもそも、言葉というのは発信者が意図したとおりに、受信者に伝わるわけではない。自分が意図しない解釈を受信者がする可能性がある。

 なるべく、表現の自由(が憲法で定められている限り)は「公共の福祉」に反しない限りで認められるべきだけど、意図して悪意のある表現をするのは良くない。ただ、言葉の性質上、自分の思ったとおりに解釈してくれない場合は、悪意がある解釈をされてもしょうがないと。

 ブログという特質な空間であっても、言論の自由の例外ではない。

 ただし、ブログの場合は、不特定多数が見ることができるのに、他人の手で推敲されるということがほとんどない。テレビの場合(不特定多数に対して影響がある)、多くの人が携わって、誹謗中傷が可能な限りないようにしている。表現に気をつけている。 (バラエティは例外もあるけれど) 
 ブログは、自分の判断に依存するので、受け手の反応は発信してから(不特定多数に送信してから)でないと、分からない場合がある。もちろん、誰かに事前に見せるという対策も取れるけど、滅多にしない。

 言葉の性質とブログの性質上、テレビなどの他のメディアよりも、個人の侵害が起きやすいのかな・・・。危険性を認識した上で、ブログで意見を自由に述べなさいということで。
posted by cloud at 23:42| 静岡 ☁| Comment(29) | TrackBack(7) | ブログの言論の自由 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図書館指定管理者制度

とりあえず、自分は図書館指定管理者制度に賛成。

なぜなら、図書館のサービスが向上することが(本当かどうか疑わしい部分もあるけど)、図書館指定管理者制度の最大のメリットなわけです。民間orNPO委託だからできるサービスの展開の可能性に期待したい。

 例えば、それこそ、「本離れが叫ばれている」という実態を解消するような、「図書館にある面白い・為になる本の紹介サービス」とか、「ボランティアを招いて子供への読み聞かせサービス」の提供もできるかもしれない。

 という観点から、図書館の指定管理者制度に賛成。
posted by cloud at 23:13| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 図書館指定管理者制度 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パブリックコメントの意義と限界

エントリーラッシュもおさまった。
でも、cloudは終わらない^^;

今回はパブコメの意義と限界。

* 意義

 まぁ、理想は、「政策決定に関われる」ことなんでしょうけど。結局大筋は決まっている。第一印象でいえば、大筋の政策決定に関わることができるというのが意義だと思っていた自分。大筋を決めさせるわけないですよね。。。

 大筋が決まっているとなると、パブコメの意義は「政策決定(微調節)に関われること」になる。次の、環境省のパブコメも、大筋は決まっている。 環境省のパブコメ
法改正のどの部分を変えるのかは決まっている。具体案をパブコメで募集している。


* 限界

 結局は市民次第
 市民の認知・関心の高さ、前提知識がパブコメの質に関する限界。上の環境省パブコメは、前提知識を補おうと同じページ内に、パブコメに関連のあると思われるニュースとか用語解説ページへのリンクが貼ってあった。

 前提知識を補おうとしているとなると、最終的には市民の関心の高さと意欲に依存しているということになるのかな?
 まぁ、パブコメページに行こうとするのかという所で既に、パブコメの数は決まっていると思いますが。。。
posted by cloud at 22:50| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | パブリックコメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

市民の電子議論の場 構成員

エントリーラッシュに便乗第2弾。
評価されない可能性は承知しております。
でも、書かないよりも書いたほうがマシかもしれない、ということで書かせていただきます。

市民の電子議論の場第1弾。(第2弾が書けるかは時間次第。)
一度同じ内容のエントリーをしたのですが、リンクが間違っていたので、再投稿します。


1.市民(=自覚した大衆)の育成
 ガバナンス論最後の授業で影響を受けたことは、否めないです。
 市民なくして市民電子的議論の場などありえない。議論の場を作る前に、まずは市民の育成が必要なのでは??
 いくら、管理者・運用の仕組みをうまく作っても市民がいなければ参加者が増えるわけがないし、活発な議論は望めない。
(授業で教員が話していたのですが、比較的うまくいっている藤沢市・大和市は市民が育っているためにうまくいっているのだとか)
 
 議論の場作成第一段階として、大学等の教育機関・会社などの法人・役所などの公的機関にてほぼ強制的に「市民育成教育(なるもの)」を実施して、市民を育てる必要がある。まずは、参加者要素を持つ大衆の当事者意識・問題意識・関心と認知の向上が大前提!!願わくば、市民に昇格。


2.参加者は誰だっ!!(管理者除く)

 * 市民はどこまで?

う〜ん、難しい問題です。○○市の電子的議論の場という場合は、○○市住民はもちろん参加OKなわけです。
しかし、○○市外の人は??(もちろん、閲覧はOKにすべきでしょうけど。)
部外者と言われてしまえばそれまでですが、××市では、○○市の抱えている問題はこういう風に解決しているよ、という提案をすることも可能なわけですよね。

部外者を許可して、逸脱行為が見られる場合は、参加権を剥奪という風にすればOKかなぁ・・・。

 * 市職員の参加

まず、なぜ市民の電子的議論の場を設けるのか! 街を快適な生活空間に変えていきたいからですよね。
となると、まちを変える権力を持つ(と思われる)市職員の参加が欲しいと、個人的には思うわけです。
平凡な意見で申し訳ないですけど、市民の議論を市職員(市の政策決定に直接的影響力・権力を持つ人)が見ていると自分の意見が届いているということに議論の価値を見出せるので、市の職員の参加は必要かなぁ。

3.管理者の条件
 gtp-mikanさんのエントリーのコメントより「上手いナビゲート」
 KAZさんのエントリーのコメントより「中立の立場」
 が、活発な議論を生む必須条件。
 
う〜ん、誰がナビゲート上手いとか、中立と判断するかが難しい。
 まぁ、NPO もしくは 市民ボランティアが、管理者をしながら勉強して技術を身につける・・・、のがいいかな。
posted by cloud at 22:11| 静岡 ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | 市民の電子議論の場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

デジタル技術はアナログ世界の補助ツール

まずは、日記。
今日はたぶんたくさんエントリーすると思われます。(^_^;)
土曜日に、バイト先の人と少しはなしをして、ちょっと考えた。

バイト先の人は、「インターネットやPCによって本(冊子)はなくなる」と考えているみたいです。

でも、自分は、なくならないと思った。
(もちろん、一部は移行するというのはあるけど。)

なぜならば・・・

1.信頼性
 個人レベルの発信が可能ということは、情報源は何?第一印象だけであたかも決め付けていないですか?と情報源・内容が洗練されていない可能性もある。
 それに、電子世界では他人になりすまして、書くことも可能。(法的に問題はありますけど^^;)
 本や新聞(これは廃止の可能性あり??)の冊子・紙メディアは、多少難癖あれど信頼されていると思われる。(誰がその記事を書いたか、本を書いたかというのが分かっている。)
 インターネットの電子世界はまだ信頼が確立されていない。
 だから完全移行は無理かなと。

 もちろん、ブログ小説なるフィクション・ファンタジーものは、情報源はあまり重視されないですけど。どのみち、どんな本(内容)かによって、インターネット上でも通用するか、否かが決まるのかな。
やはりニュースは、ある程度洗練された技術・訓練をしないとかけないと思う。色々な事柄の解釈にしても、(自分のような一般人、平凡で素人が考える解釈を公式な場では発表できないですし。どんなに素晴らしい指摘でも。)

2.危険性
 もしも、読取装置がなくなったら・・・、という危惧。電子機器の情報は直接目に見える形で存在するのではなく、読取装置と出力装置によって人間が認知できる形で存在している。
 つまり、その装置に依存するということは、何かの機会で装置を紛失したらその装置で取り込んでいた情報を知ることができなくなってしまう。
 つまり、完全にデジタル世界に移行するということは、読取装置・出力装置がなくなればそれで終わりという危険性を持っている。研究者の誰かはそのことを危惧して、なくすことはないでしょう。(という推測) 

 
 電子機器は、アナログ世界でしなければならない処理を補助するための手段でしかないと自分は考えます。
 PCやインターネットがなくても、アナログ世界の処理をすることは可能です。今流行の、情報共有だって、電子機器の特権ではない。
 アナログ世界という現実世界が大前提にある。デジタルが作り出す世界というのは現実世界を補助するのであって、デジタル世界が単独で存在しているわけではない。
 ただ、電子機器のほうが、高速で効率的というだけ。
結局のところ、PCやインターネットに代表されるデジタル技術・電子技術というのは、アナログ世界の処理を高速で効率的に処理するための補助ツールでしかないと思うのです。
デジタル世界が肥大しても、アナログ世界(現実世界)はなくならないですし。
posted by cloud at 18:38| 静岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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